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2025'06.20.Fri.21.11
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2007'09.06.Thu.21.47
昨日は友達の家にお泊りしてきました。
千葉まで!中央線とか総武線とか使っても、やっぱり遠かったです。

今年の夏休みは、去年の夏とは比べ物にならないほど遊びまくっているような気がします。
ミューズから始まり、映研の合宿で千葉に行き、実家に帰って花火、カラオケ、バー、広島の祖父母の家にも行き、秋葉原、麻布十番のお祭り、新聞会の合宿で千葉。それから、あらしのよるにを観て、毎日友達と会い、千葉へお泊り。今週末は横浜。
そして、来週にはビックイベントが待っています。

来週から、バンコクへと旅立ってきます!

修学旅行ではオーストラリアに行ったことはあるけれど、自分でちゃんと旅行会社を通して準備を全てするのは、初めて。
もちろん、タイ語なんて分かりません。
きっとものすごく迷いまくるとは思いますが、それも経験経験。
楽しみだにゃー。

バンコクのあとは、誕生日ウィークということで、祝ってもらう予定。
で、その後は、六本木でコスプレパーティーも予定されてます。
そうこうしているうちに、25日から後期の授業は始まっちゃいますよー。

時の流れというものは、何て早く過ぎてしまうものなのだろう。
もっともっと遊び足りないわ。
夏休みがあと2週間ちょっとしかないだなんて。信じられない。
…案の定、課題はひとつも終わってません。ダメな人間だな、アタシ。

夏休みが終われば、本格的にバイトも始めよう。
演劇の世界にも、もっともっと深く足を踏み入れよう。
まずは、もう一つくらい舞台に立ちたいな。
観るのも好きだけど、やっぱり舞台には立ちたい。

最近、いろんなことを考えて、凄く悩んで、一つの答えを出しました。

やっぱり、私には演劇が一番だな、と。
高校で英語科に進んで、大学も英文科に来て、テキストの形でシェイクスピアに触れていこうと思っていたけど、何かやっぱりそれが一番自分のしたいことではない気がして、ずっと考えてたんです。

英文学で学ぶシェイクスピアって、あくまでもシェイクスピア側からの目線であって、彼が書いたのは戯曲なのに、演じ手や観客があまり見えないんです。
ここの比喩は何を示しているとか、韻がどうのこうのとか、確かにおもしろいし、学ぶことは多い。
でも、これって戯曲でしょ?
文献のみでも学べるなら、小説でも詩でも同じ。
シェイクスピア戯曲を上演されたものを観る度に、シェイクスピアはやっぱり観なきゃだめね!と毎回のように思って、何だかやきもきしてたんです。

私が一番学びたいのは、観客から観たシェイクスピア。
当時のイギリス人と現代の日本人が作り出すシェイクスピアはもちろん違うだろうし、観る側も時代や国が違えばもちろん変わるわけで。

本当はずっと、エリザベス朝時代のシェイクスピア作品にこだわってた自分がいたんです。
やっぱり、本場で学ばないとだめだろうって。
だから、ずっとイギリスに留学したかったし、ずっと英語を頑張ってどうにかして自分もシェイクスピアに染まろうとしてました。
どうにかして、本場のイギリス人に追いつこうとしていた部分があったんです。

でも、所詮私は日本人。
どうしてもそれは変えられない事実。どんなに今から英語を頑張って留学して、シェイクスピア研究者になったところで、結局はその他大勢のイギリス人研究者に埋もれて、どうにもなんないんじゃないかと思ったんです。
この前、歌舞伎座でシェイクスピアの十二夜を観て、私が本当に興味があるのって、本当に本場のシェイクスピアなのだろうかと考えたんです。
ロイヤルシェイクスピアカンパニーのしてるようなシェイクスピアを、全然面白いと感じることができない。これって、英文学でシェイクスピアを学ぶものにとって、大きな間違いじゃないのだろうか。

そもそも、英文学でのシェイクスピアは、舞台を観なくても研究できます。
文献のみでも、研究できる。
でも、私の考えでは、まず舞台ありき。
舞台があって、台本があって、役者がいて、観客がいて、初めて演劇って成り立つものでしょう。
実際、自分も演じる人の一人として、演劇って観客がいないと成り立たないっていうのが、すごくよく分かるんです。
実際演じてみないと、台本の面白さがちっともわからないし、観客がいないところで演じても、それは何だか味のないガムみたいな感じで。

私たち、現代の日本人が観るシェイクスピアって何だろう。
どうして今、こんなに流行ってるんだろう。
いろいろなメディアが溢れている今、古典と呼ばれるシェイクスピアの再来は、私たちにどういう意味を投げかけてるんだろう。
というか、現代日本人は、シェイクスピアを観てどのように感じているんだろう。
そんなことが知りたいわけです。

そこに、歌舞伎も絡めて、研究したい。
どちらも男性だけの舞台として成立したけれど、違う性質を持った全く別のエンターテイメント。
歌舞伎の、男性が女性を演じるときは女性よりも女性らしく、むしろ本物の女性の代わりとして、という習慣に、シェイクスピア演劇はどう絡んでくるのか。

日本の土壌には、古来から、男色という文化が根付いていました。
男尊女卑で女性を汚らわしいものという考え方とか、修行僧の周りには必然的に女性がおらず、稚児しかいなかったため、とかそういういろんな要因からなのですが。
貴族や将軍の間に男色が流行ったのも、どこか男性同士の恋愛の方が高潔で純粋というイメージがあったからだそうなのです。しかも、女性って血を流す生き物だから、汚らわしいというイメージがあった。
もちろん男性同士じゃ子供は生まれないけど、それでも日本人男性は、女性の替わりに男性を求め続けた。
これ、江戸までのお話です。
西欧文化が流れ込んできて、キリスト教的な考え方と共に、男色は異色なものだという考え方が入り込んできて、今に続くわけですが。

そんな日本。
今の歌舞伎のルーツである若衆歌舞伎とか野郎歌舞伎とか、幕府に女性が演じることを禁止されたために、女性の代わりとして出てきたものなのです。
つまり、日本人にとって男性が男性と恋愛したり、男性が女性を演じたりするのって、まるきり女性の替わりにすぎなかったというわけです。

そんな国でのシェイクスピア上演。
凄く意味のあることだと思うのです。
まだまだ研究不足だけど、私が研究したいのは、大体こんなこと。
…これって、果たして英文学なの?
留学して答えが出るものなのだろうか?って思ったのです。

きっと、留学したら何らかのものは得るでしょう。
しかし、きっと失うものの方が多い。
留学は確かにずっとずっと追い続けてきた夢だったけど、そのためには、たくさんの時間とか、大切なものを手放さなければならない。そして、大きなチャンスも手放すことになるんじゃないか。
今私は、バイトすればいくらでも演劇を観れる環境にいて、演劇部にも入ってて、演劇学を学べる環境があって、演劇関係の知り合いとかもだんだんと増えだしていて。
そんな全てを投げ捨てて、全てを英語に捧げる生活。
もしも留学試験に受かったら、その準備。
そして、3年の夏から4年の夏までの海外生活。
きっと英語力はつくだろうけど、きっと舞台はほぼ観れないでしょう。
しかも、就職も望みなし。5年生になるか、院に行くか。
せっかく出版やマスコミ、エンタメ系に強い大学に通ってるのに、もったいない。そんなことを思っちゃうわけです。

実際、一人で抱え込んで、ずっと悩んでました。
どうしたらいいか分からなくて、身動き取れなくて、今すぐにでも英語の勉強して点数取らないと留学に間に合わないんだけど、そのことを考えただけで何だか苦しくなって、気持ち悪くなって。
大好きな舞台も、そのプレッシャーを感じてか、最近純粋に楽しめなくて。
どうにもならなくなって、どうしようもなくて、数日前、先輩に相談してみたんです。
そうしたら、凄く真剣に聞いてくれて、凄く適切なことを言ってくれて。
おまけに、「今は憧れとか理想をやれるかぎり追求してごらん」という言葉。
意地になって留学しようとしていた自分に気付いて、本当にやりたいことって何なんだろうって思ったら、すぐに答えが出たんです。

やっぱり、演劇でしょ。

どのように演劇に関わっていくかは、今からたくさんの選択肢の中から決めていくにしても、とりあえずは一歩前進。
先輩の言葉があまりにも嬉しくて、すごく介抱された気分。
どうして私、あんなに留学にこだわってたんだろう。やっぱり、どこかで英語っていう呪縛から逃げられずにいたのかな。
別に英語、たいして得意じゃないし、上手くもないのに。
悩んでる暇があるなら、バイトして、演劇観ようって思いました。ホントに。
春からずっと、「英語の勉強するから」という理由でずっとバイトをしてなくて、それに伴い演劇も観れなくなって、すごく苦しくて。
やっぱり私、贅沢でわがままかもしれないけど、演劇がないとダメな気がする。
正直、今まではライフの舞台中心に観てましたよ。
でも、これからはもっと視野を広げたいし、いろんな舞台を観たい。
戯曲さえあれば、演劇っていくらでも広がっていけるものだから、正直今からだって全然遅くない分野だと思うのです。

そんなことがあって、とりあえずは留学諦めました。
もっと早く、無駄なプライドとか捨てて、演劇に走っていればよかった。
演じるのも好きだし、こうしてぐちゃぐちゃと舞台について考えるのも好きだし、広報とか宣伝の分野にも興味があるので、どのようにこれから演劇に関わっていくかはまだ決められずにいます。
でも、留学を諦めたことで手に入れた一年間という時間。
無駄にはしちゃいけないと思うのです。
ということで、とりあえず夏休みが終わったらバイトしよう。

長くなってしまいました。
すごく独りよがりでどうしようもない考えかもしれないし、めちゃくちゃな文章かもしれないけど、演劇が好きな方ならわかってくださるんじゃないかという希望も含め、ここでブツブツと呟いてみました。

考えがまとまらないな。
でも、何となく自分の進むべき道が見えたような気がしたここ数日の私でした。
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ああ、もうね・・・
続き、胸の高鳴りを抑えながら読みました。私なんかここまであの時代に考えていただろうか。私、当時の若さに戻った気がする。
さおりさん、絞れてきましたね!すごいです、その年でこんなに自分を見つめることが出来て。もちろん源を知ることが大事だけど、そこにとどまっていたらそのまま・・・広い海に出たとき源の水はもうその形も要素もとどめないです。 
蜷川さんがあれ「マクベス」でしたっけ、背景を仏壇にしてその中で武士社会のお話として演じられたの。それが日本だけでなく世界に、それも本場イギリスで絶賛されていることを思えば明らかですよね。
それは紛れもなく戯曲シェイクスピアなんですよ。
ああ、私も逃げてました。私だって踊りがほんとうに好きじゃないか。しがらみや何やかや考えず、とにかく進んで見ますよ。望むかたへ。
さおりさんも迷わず進んでくださいね。私よりも時間も若さもチャンスもたくさんある。間違ってると思ったらまた迷わず修正すればいい。
とても清々しい気分です。
ミモザ☆: 2007.09/06(Thu) 23:23 Edit
こんな
凄く独りよがりな呟きに、凄く優しい言葉を投げ返してくださって…本当にいつもいつもミモザ☆さんには感謝しています。
自分がやりたいことって、つきつめるのは凄く難しいことだとは思うんですけど、でもやらないなんて悔しすぎるでしょう!
自分自身を見つめるのって凄く苦しい作業なんですけど、私の場合、今は周りの環境が凄く充実していて、相談に乗ってくれる先輩や友人がたくさんいるので、そのあたりに凄く助けられています。
今、父とも電話していて、こんな内容の話をしたら、「やりたいようにやっていいよ。全部応援するから」と言ってくれました。自分はなんて恵まれてるんだろう、とつくづく思います。
ミモザ☆さんも、今からだって遅くないと思います。人生をやり直すのに、遅いとか早いってないと思うのです。やりたいことをやりきったほうが、気持ちがいいですしね!

明後日、楽しみにしていますよ☆
さおり: 2007.09/07(Fri) 22:49 Edit
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