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2007'07.22.Sun.17.55
わーーーいっ!
二日間かけて、よーーやく演劇学のレポートが完成しましたっ。

もう、好きな題材を扱ったものだから、すごく力入れました。凄い達成感です。字数は自由だといわれたので、5000字くらい。

課題は「西洋と日本の演劇比較」。
これはもう、歌舞伎とシェイクスピアを比較するしかないでしょう!と意気込んで、図書館からいっぱい本を借りてきたのですが、昨日一日、パソコンの前で悶々と考えにふけってました。

大好きなテーマだから中途半端なことは書きたくない。
でも、高度なことを書くには知識が足りない。
言いたいことはあるんだけど、上手く言葉に出来ない。
しかも、シェイクスピアと歌舞伎の本なんか読んだものだから、関係のないところばかりに目が向いてしまって、歌舞伎の家系図を辿り始めてしまったからさぁ大変。

って感じで、昨日一日無駄にし、昨日は「時をかける少女」を見た後、あっけなく睡眠。
今日早く起きて、今まで書いてました。

一番書きたかったこと、それは「現代日本においての歌舞伎とシェイクスピア享受」。
どうして今、シェイクスピアなのか。
どうして今、歌舞伎なのか。
現代人の私たちだからこそ感じる二つのものの共通点って何だろうって思ったのです。
歌舞伎に関してもシェイクスピアに関しても、山のように論文や研究書が書かれてますが、まだ20歳にもなっていない私の目から見る歌舞伎とシェイクスピアについて書きたかったのです。

演劇って、結局は受け手の問題だと思うのです。
歌舞伎もシェイクスピアも、その歴史とか背景とか、原作とか、役者とかをテーマにしていくらでも研究できるものです。
でも、それって果たして「演劇」なんでしょうか。それって、演劇の死体を調べているようなものだと思うのです。

私にとって歌舞伎とシェイクスピアは同じように異国のもののように感じます。
きっと、私が歌舞伎を観てる感覚って、外国人が「オーワンダフル!ジャパニーズゲイシャ!ハラキリー!」って言って観てるのと同じ感じなんだと思うのです。
そしてまたシェイクスピアも、いくら好きだといっても、所詮はイギリスの古典。英語もさほど読めない私には、その世界を理解することは多分無理です。ざっとは把握できても、多分一生無理だと思います。
でも、そんな私がその二つを観るとき、私にしか感じることのできない「何か」がそこにはあるはずなのです。

先日『NINAGAWA十二夜』を観てきて、私はそこに原点へと帰る動きを感じました。
確かに、歌舞伎でシェイクスピアって新しい動きですよね。
菊之助という若手の役者さんと、今すごく話題性のある蜷川幸雄という演出家のタッグは、歌舞伎界にとっては新鮮な流れだし、ちょっと突飛な考えだし。
それにシェイクスピア劇の立場から考えても、イギリスの真似じゃないシェイクスピアって新鮮だと思います。
でも、私は、歌舞伎でシェイクスピアって、逆流の動きだと思ったわけです。

古臭い「歌舞伎」と、とっつきにくい「シェイクスピア」。どちらも私にとってはメルヘンです。虚構の世界の話。
シェイクスピアはもちろん虚構ですが、江戸時代はワイドショー的な存在だった歌舞伎も、平成の世では虚構です。歴史の残像です。
どうして以前は栄えていたはずの二つの演劇が、今は廃れつつあるのか。(っていっても、最近盛り返しつつはあるとは思いますが)
それは、その世界がリアルじゃないから共感できないし、他に楽しいメディアはたくさんあるし、何か歌舞伎もシェイクスピアも敷居高そうだし。
ようするに、「民衆的」じゃないんですよね。

そこに、若手人気役者の尾上菊之助と、蜷川幸雄。必要なのは話題性です。
「商業化」して、「民衆化」することにより、歌舞伎もシェイクスピアも本来の姿を取り戻すのではないか。
そこに、私は原点へと帰る動きを感じたのです。
演劇って生でやるものだから、まずはお客さんが気軽に観にいこーって思わなきゃ始まらないものでしょう。

そこで、若い私は考える。
『NINAGAWA十二夜』は、歌舞伎であった。
シェイクスピアを取り込んだ、歌舞伎。まさに蜷川幸雄が言っていたように、彼は「歌舞伎国に留学」して演出したのだと思います。
でも、正直、歌舞伎のかの字も分からないような私を含めた現代人には、きっと「菊之助がするシェイクスピアの歌舞伎」くらいの認識しかないのです。
舞台を観て、「わー背景が綺麗だなー」とは思うし、「菊之助の琵琶姫かわいいなー」とも思うし、「獅子丸(男装した琵琶姫)萌えー」って思うんですが、結局のところ、歌舞伎の詳しいことはよく分からない。
でも、何か感じるものはある。それは何か。
それは、根本にある「日本性」というもの。
日本人である私たちは、この歌舞伎を観て、紛れもない「日本」を感じるわけです。だから、これは歌舞伎。

では逆に、蜷川幸雄のほかの作品、例えば「ニナガワ・マクベス」のような作品は?あれだって「日本性」が意識されてたらしいわよ、と考えてみる。
私としては、どんなに「日本性」を意識しても、意識しただけで根底はシェイクスピアなんじゃないかと思うわけです。
確かに演じてるのは日本人だし、舞台には仏壇があったらしい。仏教を意識していたらしいし、森は満開の桜だったらしい。(観てないから説得力がないですね)
でも、それでも、私はそれは日本風シェイクスピアなんじゃないのかと思うのです。
いや、それはそれで、日本の新しい演劇の形として良いと思いますよ。すごく素敵だと思う。日本的なシェイクスピア!何か切支丹ぽくてね。
でも、ここではちょっと主旨がそれるので、またの機会に。

西欧演劇の波が入ってくるまで、日本には能と狂言と歌舞伎、そして浄瑠璃しかありませんでした。
で、舞台に上がれるのは男性だけだったわけです。これ、シェイクスピアとの類似点だとは思うのですが、決定的な相違点でもあると思うのです。
何故なら、様式が全く違うから。
歌舞伎は、役者の年齢と演じる役の年齢は関係ありません。
むしろ、年をとればとるほど良いといわれるようになる。だから、80歳になっても若くて美しいお姫様の役をするわけです。
一方、エリザベス朝においては、女性役は少年しかしなかった。
しかも、美少年。これは決定的な相違点でしょう。
いや、本場のイギリスのシェイクスピアを観たことがないので、当時の少年がどんな風に演じてたかは分かりませんが。
でもきっと、ライフの舞台に近い感じで演じていたんじゃないかなーと思うわけです。男性であることを逆に生かして、笑いを取ったりね。
そんなシェイクスピアの世界を日本で再現するとき、当然日本でも男性だけでシェイクスピアをされるようにはなるわけですが、やっぱりどうしても、イギリスの真似なんですよ、それは。
男性が女性を演じる。そこにはどうしても越えられない壁がある。だからわざと崩す。時には美しく、でもせっかく男性が演じているんだからそこを主張しないと!って思ってしまう。

それが『NINAGAWA十二夜』にはなかった。
菊之助は琵琶姫になればちゃんと女の子だし、獅子丸に琵琶姫が変装すればちゃんと「男装した女の子」だったし。ここですよ、「日本性」。(ここでいう女の子っていうのは、ちゃんとした「女形」の形だったということですよ)
客が普段歌舞伎を観てる人だから、途中で「音羽屋!」と声が掛かるのは、客の問題としても、この舞台の根底には揺るがない「日本」がいたのですよ。
そこをそこはかとなく感じ取った私は、「今歌舞伎でシェイクスピアをする意味って何だろう」って思ったわけです。
そこで、「そうか、この日本を感じる感覚こそ、この舞台の意味でしょう!」って思ったわけです。

現代人が日本を忘れかけている今、シェイクスピアという異国の演目を歌舞伎で演じたとき、私たちは改めて「自分は日本人なんだな~」と気付くことができる。
それに加え、話題性。歌舞伎に興味がなかった人が興味を持つことで、それに気付く人が増える。そして、本来の歌舞伎の庶民に親しみやすい雰囲気も取り戻せる。

こんなことを、レポートを書きながらツラツラと考えていました。
何か、すごく長くなってしまったけど。まあ、いつものことか。
まだまだ勉強不足で、よく分かってないところがあったり、結論が曖昧だったりするのですが、とりあえず私の思ったことを書いてみました。

ようするに、新しい風かと思ったら、実は懐かしい風だった、みたいな。

それにしても、菊之助は本当に可愛かった。
菊之助の演じる琵琶姫(原作ではヴァイオラ)が獅子丸(シザーリオ)というお小姓に男装するんですがね、その立ち振る舞いとか、急に声が高くなって女に戻ってしまうとことか、本当に可愛かった!
安藤英竹(サー・アンドリュー・エイギュチーク)との対決シーンは、一生脳裏に焼きついて離れないと思います。本当に男かよって思うくらい可愛らしかった。これこそ歌舞伎の魅力でしょ。
それから、双子の兄の主善之助(セバスチャン)も菊之助が演じてたんですが、やはり生粋の男役の主善之助の時と、琵琶姫が男装している獅子丸という男役の時とでは、どうしてこんな細やかな違いが表せるんだろう?って不思議に思えるくらい違いがはっきりとありました。すごい。
同じ男役でも、(立役って言うんですかね、歌舞伎だと)やっぱり女を通しての男と、最初から男っていう役は、違いますもんね。

何か、自分でも何言ってるか分からなくなってきたので、今日はこの辺でやめておきます。
とりあえず、「歌舞伎」と「シェイクスピア」について考えてみたぞってことでした。ふう、長かった。
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うむうむ^v^
面白かったよ~♪
さおりさん自体が演じる人だからこそ余計に説得力ありますね。
いつも楽しみにしているさおりさんの分析。
次も語ってくださいね、すごく嬉しくなる言葉の数々。
ミモザ☆: 2007.07/24(Tue) 09:45 Edit
ありがとうございます~♪
読むの大変だったでしょう…!!
どうしても長く書いてしまう傾向があるんですよね^^;
学校の友達は誰も聞いてくれないので(笑)ここで語ってみました。
やっぱり、「考える」って大切なことですよね。この前のブレヒトの話でも思いましたが。
あくまでも私の意見なので、演劇学の先生に言わせれば、また違う意見があるのかもしれませんが、でもそれはそれでいいと思うのです。演劇って一面のものじゃないし。
次は、何を語りましょうね♪
さおり: 2007.07/24(Tue) 16:40 Edit
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